金曜の22時、東京の街を君と駆け抜ける

 

 

2019年11月29日金曜日。

半ば忘れ去られたプレミアムフライデーブラックフライデーが共存した日、私は東京の街を駆け抜けていた。

 

理由は簡単。夜行バスに間に合わないのだ。隣にいる友人と手を繋いだまま信号機が緑に変わるのを待った。変わると同時に走り出し、人波にのまれぬようひたすらに走った。

 

距離としてはそれほど長くなかったのかもしれない。けれど、刻一刻と迫る時間を気にしながら、馴染みのない街を走るのはなかなかキツかった。座席に座り、乱れた息を整えていた時、自分がライブ帰りであることを改めて理解した。

  

 

本当に長い道のりだった。

  

 

初めてのライブはLOVEだった。この頃はまだ「新規は当たりやすい」なんて言われていた時代で、FC自体は随分と前に加入していたのに、嵐のライブに初めて応募した気がする。

高校までは部活ばかりで、ライブはDVDで見るもの、なんて思ってた。当たったことが本当に嬉しかったものの、本人に会えることをちょっと疑う自分もいた。

 

テレビで見ている彼らをこの目で見れる、という事実がどうにも腑に落ちなくて、当日まで不思議な気持ちで過ごしていたのを覚えている。二宮くんの「愛し合おうぜ東京―!」を円盤化してくれた編集者さんには感謝しかない。金一封渡したい(オタクは金一封渡しがち)

 

以降、デジタリアン、Are you happy?に参戦。untitledは外れてしまったけれど、社会人1年目で仕事に忙殺されていたこともあり「仕方ないな」ぐらいに思ってた。来年の20周年のツアーに行くための布石と思って、行きたい気持ちを飲み込んだ。のちに参戦できなくて1番悔しかったライブになることをこの時の私は知らない。

ぴえん、あ、タピオカエンドレス。

 

20周年のツアーが決定し、10年前と変わらないロゴに泣き、絶対に会いたいと思った。少しでも得を積もうと思って、バスの席譲ったり、欲しいもの我慢したり(もはや得ではない)、仕事に励んだ。10割運任せでしかないと分かりつつも、こういうことをしてしまうのはオタクの性、とでも言っておきたい。

 

しかし、そんな行動も虚しく、20周年のツアーは呆気なく外れた。倍率を見て仕方ないと諦める一方で、私より嵐に興味なさそうな子が当たってるのを見て、なんで…とやり場のない怒りを感じたこともあった。

 

そう落ち込んでいたのも束の間、5×20のandmoreの存在が発表された。思わず心の中でガッツポーズ。20周年を祝う長い長いツアーを決断してくれた彼らに感謝しかなかった。

 

ちょうどその頃、オタ垢なるものを初めて作った。繋がりタグ、フォローされた時の挨拶、キャス。顔の見えないSNSだけの繋がりは希薄って聞いたことあったけど、想像以上に楽しくて、居心地のいいものだった。ジャニオタを辞める友達が多いなか、同じ熱量で騒いでくれる人がいることが、何よりも嬉しかった。ありがとうツイッター

(ちなみに、当初の予定では“頼りになる優しい年上のお姉さんポジ”なるものを確立しようと企んでいたのにも関わらず、“お風呂入るのめんどくさいポジ“になっている。この謎はディナーの後で解きたい。)

  

2018年はジャニーズにもいくつか動きがあった。KAT-TUNの活動再開、すばるくんの脱退・退所、タッキー&翼の解散。

 

脱退を決めたすばるくんを見て、当たり前の存在は当たり前じゃないことを痛感したのにも関わらず、タキツバの解散を知ったとき、改めてアイドルは永遠じゃないことを思い知った。不謹慎ながら、嵐がアイドルでいてくれることに感謝しようと思った自分がいた。

 

年末のジャニーズ同窓会も紅白も最高だった。特に2018‐19のカウコンは忘れられない。

猪を被った末ズの可愛さに悶えつつ、(タキツバ最後だけど、やっぱり5人揃わないのか…)と思う自分がいた。だからこそ、移動中1ミリも映ってなかった櫻井くんが来て5人揃った時、ものすごく鳥肌がたった。櫻井翔が必殺仕事人だったこと忘れてた自分を殴りたい。

 

そんな形で幕開けした2019年。

年末年始のバタバタとした時間は過ぎ、街がチョコレート色に染まり始めた頃。私の世界はいとも簡単に揺らいだ。

 

 

2019年1月27日。

嵐は2020年で活動休止することを発表した。

 

 

涙が止まらなかった。むしろ止めるなんて不可能だった。すぐに友人に電話をかけて、2時間ほど泣きながら話し、夜の会見を一緒に見る約束をした。晩ご飯は食べた心地がしなかった。

慌てふためく私たちをよそに、休止会見に出てきた彼らはいつも通りで、大好きな彼らがそこにいた。

 

素直に言葉を綴る相葉くん。

丁寧に言葉を選ぶ潤くん。

緊張しながらも自分の言葉で伝えてくれた智くん。

和ませる言葉と裏腹に牙を見せる二宮くん。

番組で培ってきた言語力を活かし、思いを言葉にしてくれた翔くん。

 

あまりにも嵐すぎる会見だった。あの会見の磁石‐翔くんと二宮くんは好きしかない。5人でいれば向かうところ敵なしってところですか。それぐらい彼らの姿が輝いて見えた。

 

三者から見たら、ただのアイドルとファンの関係でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。それでも、いつだってファンのことを考えくれる嵐がたまらなく愛おしく、期限が分かっていてもこの人たちについていこうと思えた。

  

その反面、(活休やめないかな)という思いが頭の片隅に居座っていた。人間として、社会人として、休むことの選択がどれほど難しいことか、彼らの思いを少しは想像できるのにも関わらず、「アイドルでいて欲しい」と思ってしまう自分に嫌気がさした。

自分が一番嫌いな価値観の押しつけを、大切にしたい人にしようとする。矛盾も甚だしい。

 

 

そんな思いもあったせいか、10年ほどのオタク生活で初めて他グルに落ちた。

それが岸くんだった。

 

国宝級の顔面をお持ちになられる平野くんと永瀬くんはもちろん、神宮寺くん・高橋くん・岩橋くんも本当に侮れない。雑誌の表紙とか、番組MCとか「初めて」を見られる喜びは母性に近いものなんだと思う。

「若い子たちはあんまり興味ないんですよね」と言っていた頃の私、どうかしてるぜ!(ボケが古い)

 

そんな彼らは「世界で活躍したい」としきりに口にする。新参者の私ですら(あ、この人たち世界行くじゃん)と思う瞬間があるし、ジャニーさんの思いもあるとはいえ、嬉しいようなどこか寂しいような気持ちになる。

そして彼らはこうも言う。

 

「このままずっと仲良くいたいね」

「この関係性を続けていきたいな」

 

その言葉を聞いたとき、嵐の姿が思い浮かんだ。彼らも先輩の大きな背中を見ているに違いない、そんな気がした。

身内でキャッキャッしていた5人が、大きな影響を与えるグループになっていることをどこまで気づいているのだろうか。

そして、いつから気づいていたのだろうか。

 

 

暑さが残る9月、10月が終わり、迎えた11月。私のカメラロールには二宮くんだけじゃなくて、岸くんたちの写真も増えていた。

そして私たちの世界は再び揺らぐことになった。

 

各種サブスクの解禁、SNSの開設、JET STORM、ライブビューイング、新国立競技場でのライブ、Turning upのMV解禁。「情報過多」含め、Twitterのトレンドは嵐に関するものばかりだった。ファン以外の人も確実に巻き込んでいたに違いない。本当に恐ろしい人たちだ。

 

まさかの第4希望で札幌が当たり、人生初の遠征が決まった3月1日。あの日からずっと11月14日に行われるライブ待ちわびていた。5×20のツアーに行きたかった気持ちを踏まえると、もっと前から待っていたことになる。

 

やっと行ける。3年ぶりに嵐に会える。本当に彼らはドームにいるのだろうか?同じ空間で同じ時を過ごすのだろうか?本人に会えることを疑う気持ちは、なにも変わっていなかった。

 

そんな矢先だった。

二宮くんが結婚を発表した。ライブの2日前の出来事だった。

 

「いつものことだ」と言い聞かせていたけれど、22時になったとき頭が真っ白になった。FCサイトに記載された「ファンの皆さまへのご報告」の文字。あぁ、本当に本当に結婚してしまったんだ。

 

「泣き笑いしてペニーワイズみたい」なんてツイートしてたけど、そうでも言ってないと無理だった。名古屋から札幌に向かう予定だから翌日の朝は早かった。もちろん、支度をする手は全然進まなかった。

 

ねぇなんで、どうして今なの

私なんか悪いことした? 

そう思わずにいられなかった。

 

聞きたいことは山ほどある、でも聞くことはできない。ファンなのに。いや、ファンだからか。どれほど相手のことを思っていても、ただのファンでしかない。あまりにも無力だった。

 

半年、それ以上前から楽しみにしていた思いは、たった一つの事実でいとも簡単に崩された。やり場のない感情は涙へと変わり、ポロポロと頬を伝っていくのがわかった。

 

嵐に会いたい、でも会いたくない。

 

複雑な気持ちを抱えたまま札幌に向かった。

 

 

ドームに着いたのは開演時間のギリギリだった。

 

円陣の声に湧く歓声が聴こえて、5人の映像が流れる。それぞれがアップで映されたときの歓声、二宮くんの時だけ小さく感じた。おそらく本人も気づいていたはず。

 

始まってからはボロボロ泣いていた。おかげさまで最初のほうの記憶があまりない。その涙が会えた喜びからきたのか、会いたくなかった辛さによるものなのかは正直分からなかった。

 

そんな様子の私を見て、開演前に「初めてライブに来た」と言っていた隣の席のご婦人がひどく驚いた顔をされていた。そりゃそうだ、憧れの人に会える素敵な空間で、ボロボロと泣いてる人見たら驚くよな。私でもそうなる…いや、心のなかで(分かる)と思ってそう。初めてのライブが、こんなオタクの隣で申し訳ない。少しでも楽しかったと思ってくれたらいいな。

 

ライブが始まって1時間ぐらい経った頃、ようやく落ち着いた。

DVDで見る二宮くんは絶対的なアイドルだった。自分の見せ方を分かってる柴犬系小悪魔。そんな二宮くんが不安そうだった。その時、あぁこの人も人間なんだなって思っちゃった。私たちがどんな思いで今日のライブに来てるのか知っている。だから挨拶で出た「みんな優しいね。」の一言は数少ない本音だったと思いたい。

 

ライブの終わる頃の二宮くんは、不安気な様子ではなく穏やかな雰囲気だった。自業自得だと言われたらそれまでだし、お花畑と言われそうだけど、少なくとも私の目にはそう映っていた。

 

 

そのあとも私の涙は出たり引っ込んだりを繰り返した。5x20からアンコールが終わるまで、ひたすら泣いていた気がする。後にも先にも、ライブでこんなに泣くことはきっとない。

 

この1年でLove so sweetがよくある恋愛ソングじゃなくて、ファンに向けられているように思ってから聴くたびに胸がギュッとなる。Happinessを聴くと、“この曲ってなんか切ないよね。”という二宮くんを思い出して、私にとって二宮くんの存在があまりにも大きすぎると実感した。嬉しくて苦しかった。

 

この日に至るまで、5人の間でどういうやりとりが行われていたか私は知らないし、今後も知ることはない(はず)。ただ、何があっても彼らは嵐であり、アイドルでいることを思ったら、泣かずにはいられなかった。

ライブでの彼らの姿を見たら、休止の会見後と同じように、ついていくしかないと思った。

 

でも本当につらいのはそこからだった。

札幌に参戦した人によるレポ。そこから広がる憶測。これまで気にとめていなかった彼らのちょっとした対応から広がる不仲説。ミュートもした、ブロックもした。でも見ず知らずの人たちが吐き出す言葉によって、私の感情がドロドロしたものになるのには時間がかからなかった。前みたいに二宮くんを見るのが怖くなり、ライブ後の決意は簡単に揺らいでしまった。弱くてごめん。

 

 

でも、少しずつ風向きが変わっていった。

 

恒例ともいえる年末の音楽番組ラッシュ。発表後のテレビ出演で、緊張していたのは私だけではないはず。でもそんな不安をよそに、歌って踊る彼らは嵐で、アイドルなんだと思い知った。音楽番組でパフォーマンスをするうちに、モヤモヤしていた気持ちが解けていった人もいると思う。

 

札幌公演のあと、大阪、東京、名古屋。11月末の東京公演のときは、札幌のときより穏やかな気持ちで楽しめた。12/25のツアーファイナル。ライブビューイングもあったおかげで、通常より多くのファンの人が参戦できただろうし、それぞれの最適解のようなものが、そのヒントが見つけられていた気がした。

 

百聞は一見に如かず。

 

レポじゃなくて、見た人にしか分からない何かがあるんだと思う。ライブってすごい(語彙)

 

誰かのツイートも目に入るかもしれないけれど、私は自分の目で見て感じたものを信じようと、改めて思った。

これを11月末の私に伝えたらきっと驚くと思う。20年の年末もそれ以降も、未来は私が思うよりも悪くないのかもしれない。

腫れ物を見るような態度とってごめん。もう揺らがないよ。

 

 

 

本当に長い道のりだった。

 

 

4月に展覧会の開催が決まり、元号が令和になると最後のワクワクが行われて、24時間テレビがあって。展覧会の当選メールが来たときは思わず変な声が出たし、11/3に行けたことは、短い人生でも忘れられない1日になった。

 

テレビ番組のリアタイも楽しかった。実況解説みたいな感覚でバカみたいにはしゃいだ。しょうもない私の毎日は、嵐というアイドルによってあまりにも彩られていた。

 

嵐が活動休止するまで残り1年。

 

この2カ月、良くも悪くも色んなものを見てしまった今、前みたいにはしゃげるほどのモチベーションはないのが本音。月を見たら二宮くんを思い出しちゃうし、歌ってる姿は好きだなと思う。でも「毒舌吐くけど何だかんだ優しい会社の同期の二宮くん」みたいな妄想はできないし、嵐の番組以外で二宮くんのことあんまり考えなくなった。

 

「それって担降りじゃん」と思う方もいるかもしれないんですが、私のなかで「担降り=(テレビや雑誌などの情報を)一切追わない」というイメージなので、担降りはしないと思う。他のグループに目がいっているので、あまり説得力はないけれど。彼らとの向き合い方をちょっとだけ変えて、ほどよい距離感を保ちたい。

変わらない現実に嘆くのではなく、私なりに向き合っていきたいと思う。

 

長いと思っていたこの道のり。

5人が必死に向き合ってきたものを、私も必死に見つめていきたい。

 

そしてまた彼らに会えるときがきたら。

 

高ぶる気持ちを胸に、東京の街を走り抜けたいと思う。

 

 

 

あとがき

 

f:id:nekopi_log:20200120190558j:image